私とは(自己紹介)

ABOUTこの記事をかいた人

このサイトの管理人。さすらいの旅人を名乗り、好き勝手に生きている30代。自称このサイトで仕事をしている優秀ライターさんのボス。実は平子社長に憧れている(アルコ&ピー○のあの人w)。旅の素晴らしさを多くの人に伝え、旅人を作り出すためにこのサイトを開設。ライターさんに恵まれ、楽しくサイト運営をしながら旅に出かけている。そんな男。 ↓↓もっと詳しい話はWebSiteへ↓↓

自己紹介

生い立ち

東北の雪国の見渡す限り山に囲まれた田舎。
三人兄弟の末っ子で私は生まれました。

本を愛し切手収集が趣味で口数が非常に少ない父と、いつも笑顔で大きな声で笑う母の間に生まれました。

父は勉強家で少年時代の私のイメージはいつもなにか書いているなと思っていました。
母は活発でママ友も多く学生時代にはバスケット選手として活躍していました。                                  

そんな両親のもと田舎で自由奔放にすくすくと育っていきました。

大事なものを学んだ小、中学校時代

町の小さな小学校に入学すると母譲りの明るい性格で友達が沢山できました。 
田舎の農道を元気よく走っていました。

小学校に入学すると母がコーチをやっているバスケットチームに入団しました。
実は野球をやりたかったのですが、母親に言えず、そのまま流れに乗ってバスケットボールを始めました(笑)

家では笑顔であんまり怒ることはなかった母ですが、コーチになれば鬼のように恐かったの覚えています。
テレビゲームがしたくて練習休もうとしたときにはゲーム機を川に捨てられたり、試合の日に眠くて起きなかったら人生で初めてビンタされたり。
けどバスケ以外では優し母でした。

今考えてもゲーム機を川に捨てるとか激しすぎます。
当時はそんな母のことを本当に二重人格かと疑っていました。

そんなコーチの母から学んだのは
<一度始めたこと途中で投げ出すな。責任をもて。>
です。

小学校も高学年になると父からも学びました。
父はいつも言うことは一緒で
<弱いものいじめはするな。女の子には優しくしろ。「ありがとう」、「ごめんね」はしっかり伝えろ。>
という言葉でした。
父は毎回のようにこの三つを言っており頭に刷り込まれました。

当時はこの言葉の本当の意味をよく理解していなかったのですが、社会人になって両親の言葉の大事さがわかりました。
今ではこの素敵な言葉をくれた両親に感謝しています。

中学生になると勉強と恋と部活と友達。
この4つの小さな世界で楽しく生活していました。
続けていたバスケットも上達し県内でも優勝をする強豪チームになりました。
有り難いことに高校も名門高校にスカウトされ順風満帆でした。

調子にノった高、大学時代

高校に入学すると親元も離れバスケットに一生懸命取り組みました。
もう高校三年間は色々ありましたがあっという間に過ぎました。笑

大学入学のため東京に。
田舎の小さな町で過ごしバスケしかしてこなかった私は東京の街をみて圧倒されたことを覚えています。
東京で生活は楽しかった。ただそれだけでした。

両親からの仕送りを遊びに使い大学にも行かなくなり遊んで遊んで遊びまくりました。
案の定大学は中退。
その時の母の悲しそうな顔は今でも覚えています。 

それから地元には帰ることはなくふらふらしていました。
何のやる気もなく東京の街にいる人すごくキラキラしていてみんなが成功しているように見え置いてけぼりのように思いました。

人生の転機と行動

何年も目標もなく未来もなく人生を送る私に転機が訪れました。
私の地元を襲った東日本大震災です。
自然パワーは恐ろしく、被害は甚大でした。
すぐ地元に戻り被害状況を見た時変わり果てた街をみて驚きました。

この時にこんな私でもなにかできることはないか。と思い地元に帰ることを決意しました。
そして復興のお手伝いをすることにしました。
その頃の東北は人手が足りず若い力が必要でした。

この時なにより痛感したのは私一人では限界がるということです。
今は個の力より組織の力と気付きました。
そこで私はある行動に出ました。

その行動とは
自分が信用できる仲間に声をかけ建設会社を企業しました
一人一人に声をかけ自分の気持ちを伝え誘いました。
五人の仲間と会社を設立し代表に就任しました。

ほとんどノープランで勢いのまま設立した会社だったので、今思えば無謀なことしたなぁっと思います。
もちろん後悔はしていませんけどね。

社会の厳しさ

会社設立はしたものの私たちのうりはやる気ぐらいで素人集団です。
大変苦労しました。
仕事は安い仕事が多く、それでも僕たちは挫けず頑張りました。
お金がなくてインスタントの袋麺をよくそのままかじってたの覚えています。

私たちの周りには応援してくれる人もいませんでした。
失敗する
借金を背負う
仲間割れする
など言われたこともありました。

そんな言葉に負ける私ではありません。
仲間と共に辛い時期を乗り越え、会社を軌道に乗せることができました。

設立から8年がたった今では従業員も20人近くになりました。
最初から5人も役員になり元気にやっております。

社会は厳しいですが、何とかなるものです。
行動を起こさないと何も始まらないし、何も結果は得られないと改めて感じています。

結婚。そして父に

会社も軌道に乗り生活にも余裕が出てきました。
恋愛なんてしてる暇はない。って思っていましたが後輩の女の子の友達に一目惚れしてしまいました。
美容師をしているその子に。

私は会いたくて即美容室の予約をしたの覚えています。
その子は8ヶ月の娘がいるシングルマザーでした。
そしてその子が今私の妻で8ヶ月の女の子は今私の娘です。

血の繋がりのない子に抵抗はなかったかとよく聞かれますが私は全く抵抗はありませんでした。
だって血の繋がりのない仲間と人生かけた勝負するくらいですかね。
娘はすくすくと育っています。
この子が立派な大人にすることが私の責任で私の生きる価値だと思っています。

旅と私

こんな私ですが旅行が大好きです。
あまり趣味はないですが旅行は私の大事な趣味の一つです。

家族旅行も行きますが一人旅も行きます。
いつもの日常から離れストレスフリーの一人旅はおすすめです。
私は仕事上様々な決断をしなくてはいけませんが、なにか考えてたり発案するときに一人旅は最高です。

一人旅の魅力はなににも縛られず自由です。
美味しいものを食べその土地文化を楽しむ。
最高です。

なにか迷ったり悩んだり今の自分を変えたいなど思っている人は一人旅おすすめです。

これからとまとめ

私は文字を書くこと人になにかを伝えることが好きです。

この場所で
この話素敵だな!
っといってもらえるような旅の話を発信できれば思っております。

ここまで読んで頂きありがとうございました。
こんな私ですがよろしくお願いします。

 

                             

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